Tabisuke Tabizo | Long Trail
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STORY
Long Trail
BY MARCO LUI
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Long Trail
BY MARCO LUI

大淵千鶴
誰かのために。

数年前にトレイルランニング界に頭角を現し、
瞬く間にウルトラディスタンスレースの
スペシャリストとして名を馳せた大淵千鶴。
今年5月の『Ultra-Trail Mt. Fuji』では3位に入賞し
「ニューヒーロー賞」を受賞。
二連覇中の『OSJ Koumi 100』では、コースレコード保持者でもある。
このインタビューでは、 “チーちゃん” こと大淵千鶴のルーツ、
100マイルレースとの “偶然の出会い”、
競技、そして勝利へのモチベーションを紐解いていく。
Words & Photography = Marco Lui
Translation = Yumi Kawamura

「9時間を切って、
みんなを越してやる」

そう心に誓ったのは、新潟県西部の西蒲三山でトレーニングに励んでいる時だった。

2020年11月、24歳の彼女は新潟を拠点とするトレイルランニングチーム「TOKIMINGO」への招待状を受け取った。加入の条件は1つ。西蒲三山の過酷な40キロの往復縦走を、10時間以内に完走すること。獲得標高4,000メートルを誇るコースである。女性は10時間、男性は9時間が入団の基準だったという。

「この試験を受けないといけないのは、なぜか私だけでしたけど」

チーちゃんは笑いながら当時を振り返る。

彼女の地元から西蒲登山口までは車で90分。チーちゃんはこの距離をものともせず、それから5ヵ月の間、定期的に山に通いトレーニングを積んだ。入念に準備をして勝ちたかったのだ。

2021年4月、彼女は「TOKIMINGO」史上二番目に速いタイムで縦走を完了し、憧れのチームユニフォームを手に入れた。

「チームに山岳王がいて、彼に17分差で負けた」と苦笑しながら話すチーちゃん。

「負けず嫌いですからね」

チーちゃんは、物心がつく頃から
ずっと走っていた。

彼女と双子の弟は喘息を患っており、両親は運動で体を強くするよう教えていた。

「保育園までは2キロぐらいで」とチーちゃん。

「通園のときに車を使わないで、お母さんが自転車で、私と弟二人でお母さんを追いかけて通っていたのが始まりかもしれない」

両親が蒔いた種はすくすくと成長した。夏はランニング、冬はクロスカントリースキー。中学生の間は、トレーニング、レース、その繰り返し。彼女はどちらのスポーツも好きだったが、当時の陸上部のコーチいわく、スキーの季節が終わって帰ってくると、毎回ランナーというよりスキーヤーを真似した大げさな腕の振り方をしていたそうだ。高校に入学したとき、彼女はどちらか一つを選択したい衝動に駆られたが、どちらにするか迷っていた。

スキーヤーのほうが全国大会に出場しやすい。でも、ランニングのほうが身近な選択肢だった。中学時代は、地元の消防署の駅伝チームの練習に参加した。消防士たちと一緒に長距離走やヒルリピートを繰り返し、プロの指導を受けた。結局、双子の弟が彼女の選択を後押しした。

「スキーは双子の弟に負けるけど、長距離なら勝ってたので」とチーちゃんは笑顔を見せる。

もっと走らないと。
走ることを決めた彼女は、

走ることを決めた彼女は、
大学のアスリートになるか、陸上競技の選手として実業団に入ることを思い描いた。が、早速大きな課題が立ちはだかる。高校の大会で、ライバルたちのほうが上達が早くタイムも速く見えたのだ。「トレーニング量の違いのはず」と彼女は心の中で考えた。

「もっと走らないと」

午後5時前からチーム練習が始まり、7時に終わる。陸上部は野球部やサッカー部とトラックを共有していた。チーちゃんはグループランが終わったあと、午後9時まで自分で考えたトレーニングを行った。トラックが静かで、ボールが飛んでこない時間が好きだった。キロ4分のペースで20キロほど走るのは普通だった。


「夜7時までの先生が考えた練習がアップで、それから練習が始まるみたいな感じでやってました」と振り返るチーちゃん。

過剰なトレーニングが、165センチの体に重くのしかかる。高校3年生で拒食症になり、体重はわずか38キロになった。

「なんだかんだで長時間動けるんですけど、やっぱパワーがなくて」と話す彼女。

「あのときはやり過ぎてたな」

現在27歳の彼女は、身長170センチ、ベストコンディションの体重は56キロだ。

彼女の名前は、
大学の記録帳にほとんど
残っていない。
彼女の名前は、
大学の記録帳にほとんど
残っていない。

チーちゃんは大学でも苦労した。
アスリート用の奨学金を獲得し仙台の東北福祉大学に入学した彼女は、大学レベルでもチームで活躍できると思っていた。それなのに、体がついてこない。怪我によって試合はおろか、トレーニングすらもままならなかった。

「自分が頑張ればそれでいいってなるけど、大学だとチーム戦になってくるところが結構あって。このまま続けてたら陸上部のために何も力になってないな、何のためにここに来たんだろうって」

その答えが出たのは、調子が徐々に戻ってきたときだった。チームのペースメーカー役を引き受けたのだ。彼女の役目は、秒単位の正確なペースで集団を先導し、その後離脱、また別の集団を異なるペースで先導する、というものだった。

「毎日それをやり続けると、時計を見なくても、どんなペースでも走れるようになった」

その上、チームのマネージャーも務めた。他の選手の大会登録をサポートし、レース主催者とやり取りを行う。この経験をきっかけに、たくさんの人が選手のために動いていることに気付いた。大学3年生になるころ、怪我がほとんど治った彼女は新しい役割にも慣れていた。

「もう自分はいいからみんなを勝たせればと思った」と話すチーちゃん。彼女の名前は、大学の記録帳にほとんど残っていない。

このとき、彼女は初めて誰かのために走っていた。

マーさま。
大学を卒業し、

大学を卒業し、社会福祉の学士号を得たチーちゃんは、介護施設で働きながらランニングを趣味的に再開していた。2019年6月、彼女は花火大会で有名な長岡市で行われる『越後カントリートレイル』で、あるランナーたちに出会う。彼らが着ていたのは、トキやフラミンゴ、花火が描かれた、印象的な総柄のセットアップだった。

「TOKIMINGO」という名のそのチームは、やがてチーちゃんを水曜日の夜の練習にゲストとして誘う。彼女が正式に「TOKIMINGO」のメンバーになるのは、それからさらに2年後のことだった。

チームのトレーニングランで、チーちゃんは同じ新潟出身の女性ランナー、“マーさま” こと青木まど香に出会った。彼女によれば、チーちゃんは最初の出会いをほとんど覚えていなかったという。


「初めましてって何回も挨拶されて、前も会ってるよって言いました」と、笑いながら話すマーさま。

「暗かったから顔がよく見えなかった」と、チーちゃんは反論する。

数カ月後の11月、「TOKIMINGO」が主催する『八石100』に申し込んでいた二人。明るい太陽の下で、チーちゃんは青木まど香に挨拶をする。

「初めまして」

チーちゃんはようやく、マーさまを覚えたようだ。

100。
チーちゃんは、
100マイルがどれくらいの
長さなのか知らなかった。

チーちゃんは、100マイルがどれくらいの長さなのか知らなかった。慣れ親しんだメートル法のキロメートルと、帝国単位のマイルはそれほど変わらないと思っていたのだ。直線もカーブも隅々まで心得るベテランランナーの彼女には、コースを予習するという発想すらなかった。

八石のコースは、長岡市と柏崎市を結ぶ17キロの周回コースで、獲得標高は900メートル。選手たちはそれを9回走ることになる。

「100」

チーちゃんがGPSウォッチで三桁の数字を見たのは、このときが初めてだった。100キロ走り終えたのに、誰も走るのをやめない。仲間の選手にゴールの場所を尋ねると「あと60キロ」と言われた。

「100マイルって160キロだったんだって、そのとき知った」

曇り空の蒸し暑い6月のある日、
私は群馬県の最南西に位置する上野村のアパートで、チーちゃんとマーさまに会った。チーちゃんは食品業界について学ぶために、地元の食品加工会社で平日働いていた。彼女は長距離の選手がよく使う砂糖入りのエナジージェルが苦手で、将来は「リアルフードでの補給食」を自分で作りたいのだという。

『八石100』のあと、チーちゃんは仕事を辞めてプロのトレイルランナーの道を目指し始めた。2021年の『OSJ Koumi 100』では、女子の大会コースレコードを更新して優勝。ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ1年後のレースでは、悪天候のなか、175キロのレースをスタートからゴールまでリードし、もっとも近いライバルを約3時間引き離してゴールした。

いっぽうのマーさまも、ストレスの多い電機メーカーの事務職を辞めた。新潟でカフェを開く予定のようで、それまでの間、チーちゃんの事実上のマネージャーとサポートクルーを務めている。サポートクルーといえば、1日以上行われることもあるレースで、食料と装備品を持ってエイドステーション間を走り回る人である。今や二人にとっての耐久レースなのだ。

「お姉ちゃん心として一人じゃちょっと不安だから、ついて行くよとサポートしています、勝手に」とマーさま。

数週間後、栃木県で行われたイベントで彼女たちに再会した。次なる人生のステップを計画するために、二人で一緒に新潟に戻る予定だという。詳細はまだ決まっていないが、ランニングとコーヒーが絡むことは間違いなさそうである。

チーちゃんの次なるビッグレースは、
9月に開催される『信越五岳トレイルランニングレース』だ。3位に入賞した5月の『Ultra-Trail Mt. Fuji』と並んで、日本でもっとも人気があり、競争率の高い100マイルレースの一つである。

彼女の目標は何なのか、わざわざ尋ねようとは思わなかった。何度も「負けず嫌い」と聞いていたからだ。それでも、彼女がなぜこれほど走るのか、興味があった。答えは、彼女がペースメーカーとマネージャーをしていた大学時代にまで遡った。

「自分をサポートしてくれている人、大会を準備してくれてる方から、頑張るパワーを頂いて。そのパワーを準備してくれた人に返したいし、準備してよかったって思ってもらえるように走りたいなと思う」L

大淵千鶴(おおふち・ちづる)
1996年生まれ。新潟県小千谷市出身。トレイルランナー。
東北福祉大学総合福祉学部卒業。
福祉、林業を経て、現在は農産物加工や観光業に従事。
陸上競技(小学校〜大学)、クロスカントリースキー(小学校〜高校)、競泳(小学校〜中学校)などさまざまなスポーツを経験後、大学卒業後に地元のレース『八石100』の出走を機に2021年からトレイルランニングのレースに本格的に参戦。

【主な経歴:レース】
◎2019年
八石100
◎2021年
OSJ KOUMI100 女子優勝
Backyard Ultra Last SAMURAI Standing 2021群馬 32時間、214.592km
◎2022年
ヤリカン12時間耐久&100mile 100mile 女子2位
本州横断ゼロフジゼロ 本州横断の部317km 完走
津南ウルトラ三種目競技 優勝
OSJ KOUMI100 女子優勝
UONUMA SKY RUNノーマル 2位
◎2023年
N3PUC 50mile 完走
ULTRA-TRAIL Mt. FUJI「FUJI」女子3位、ニューヒーロー賞


マルコ・ルイ
1985年生まれ、香港出身、神奈川県鎌倉市、徳島県神山町で二拠点。 デザインリサーチャー、フォトグラファー、トレイルランナー。
大学で新聞学部を卒業した後、知り合いの紹介で金融記者の道に入り、香港、東京、ニューヨークを渡って10年。2018年、日本に戻り、デザインコンサルティングの世界に脚を踏み入れる。2021年コロナを機に独立し、デザインリサーチャーとして、企業の事業開発や課題解決に貢献しつつ、写真撮影、ドキュメンタリー映像制作にも携わる。インタビューポッドキャスト、KIKITEを主催。
トレランに魅了されたのは2011年、モンゴルを舞台にしたMongolia Sunrise to Sunsetという100キロ大会。2022年の信越五岳で100マイルをデビュー。

【主な経歴:レース】
◎2018年
Breakneck Point Trail Runs(ニューヨーク州)42km
North Face Endurance Challenge(ニューヨーク州)50mile
◎2019年
信越五岳110km
◎2022年
信越五岳100mile
Izu Trail Journey 70km
◎2023年
Western States Endurance Run 100mile